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ばか教育

言葉の悪いタイトルですみません。
次の記事を読んだときの正直な感想が、「ばっかじゃねーの?」だったんです。

『鳥取の小学校は「学級委員長」なし 「なれない子供が傷つくから」?』 (J-CASTニュース)

本当に子供のことを考えるなら、こんな発想はできないと思います。
どうしてできる子をできない子に合わさせるんですか?
それはできる子にとっての逆差別じゃないですか?
なんで劣等感を持つことがいけないんですか?
劣等感だけじゃ困るとしても、劣等感があればこそ向上心が生まれるんじゃないですか?

優生思想を論じてるんじゃありませんよ。
個性の尊重や価値観の多様性の中では、それぞれに秀でた子がいて当然、いなくちゃ意味がないということです。
徒競走で勝つ子がいていいじゃないですか。
書道や美術コンクールで入賞できる子がいていいじゃないですか。
計算が速いのは罪ですか? 行事を仕切れる子がいちゃいけませんか?

誰でもひとつやふたつは得意なことがあるものです。
そこを見つけて伸ばしてやるほうが子供のためになるでしょう?
自分の得手不得手を自覚できれば、将来を決めるのにも役立つじゃないですか。
限られた科目だとか、学校行事の枠内だけで考えるからおかしくなるんです。
色んな才能が見られる機会をたくさん作って、誰でも得意分野で頑張れば褒めてもらえるようにしてやる。
どうしてそういう方向で考えられないんでしょう。



どんなに競争から目をそらしたって、実際には子供は成績で順位をつけられるし、それで進学先や就職先が決まります。
子供はそういう現実を、世の中には勝ちもあれば負けもあることを知っておかないといけない。
負けてもそれで終わりじゃないことを学び、なにくそと思える耐性を身につけないといけない。
勝者は敗者への思いやりを、敗者は勝者の努力を知らないといけない。

なにもかも横並びにしてしまったら、悲しみがないかわりに喜びだってないでしょう。
無気力な子供が増えて、社会に出てから現実に絶望するだけです。
絶対に子供のためになんかなりません。断言します。

私は勉強のできる子供じゃありませんでした。
体育に至っては、いつも最低の成績しか取れなかった。
だからなにかで勝ったとか入賞したとか、そんな経験は一度もありません。
負けっぱなしの学校生活(笑)。
たまたま新設校ばかりに通ったので興味のある部活もできてなかったりして、そういう方面で認められることもありませんでした。
好きだった科目は美術。
それも絵を描くのや造形が好きというだけで、技術的にはヘタクソなほう。

そんな私の作品を認めてくれたのは、中学の美術の先生でした。
入試に関係ないからと、美術の時間には内職したり遊んだりする子が多いんですよね。
私は結構真面目にやってたんですが、やっぱりうまくは課題をこなせない。
遊びながらでも自分よりいい作品を作る子は何人もいました。
でも、先生は私の作品のほうを評価してくれたんです。
自分の頑張りをちゃんと見てくれてる人がいる。
そう感じられたことは本当に嬉しかったし、励みになりました。
適当に仕上げたときに「今回は手を抜いてない?」と笑われたのには、びっくりしたものです。

他教科と違って、点数で評価しなくていい美術の先生だからできたことなのかもしれません。
でも教師に限らず、子供の長所を褒めてやる大人がいれば、劣等感だけの子供なんて生まれないんです。
あの先生がいたから、当時の私は頑張れました。
他の教科担任なんてあらかた忘れてしまいましたが、あの先生の顔と名前は今でもはっきりと思い出せます。

ああいうのが、きっと本当の教育なんだろうと思います。
モチベーションさえあれば、子供のうちは大抵のことを身につけられるんですから。

by keibi-in | 2009-02-14 00:48 | 雑感  

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